工房閑話

 

 

今国会の教訓

   

この18日、通常国会が大波乱の中で終了したが、我々から白紙委任を取りつけでもしたような政権の姿勢に不快感を覚えた。監視役たる国会も司法も機能不全の体である。権力の暴走による先の大戦の学習効果は、わずか半世紀余りで忘れ去られたのだろうか。

 

一方アメリカでは、曲がりなりにも、暴走が得意な大統領の手綱は締められている。世論の支持を背景にしているとは言え、当局がその大統領を捜査対象とするとは、最大の同盟国ながら、あらためて両国の文化の違いを痛感させられる。「健全な社会を維持するためには性悪説にのっとった規則が必要。」という思想が、ごく自然に定着しているのだろう。

 

様々な理由から、性善説にのっとった社会を築くことができた日本人にとって、やたら人を疑うと云うイメージが強い、この性悪説には抵抗があるようだ。このような国に生まれたことに感謝し、誇りに思うが、もはやその美徳では物事が進まなくなりつつある。国会に於ける政権の答弁もその一例である。国民の根強い支持により、永らく国政の舵を取り重責を担ってきた自民党ではあるが、政権党としての実績に培われた、懐の深さが全く感じられなくなってしまった。

 

また、この日本の美徳は時としてビザ申請には障害となる。アメリカのビザ申請に必要な補足書類については、公証役場の認証等による証明手続きは原則として不要である。翻訳を添付する場合も、翻訳者の資格を証明する必要はなく、性善説に基づいて審査するのかと戸惑うほどだが、杞憂である。一旦不審感を抱くと、その姿勢は一変する。基本的な思想は筋金入りの性悪説なのである。この点をはき違えると高い代償を払うことになり兼ねない。現実にそう云う事態も発生している。幸か不幸かこのところの政治情勢は、性悪説の必要性を効果的に啓蒙してくれているが、グローバル時代を生き抜く知恵の代価とは言え、この授業料は高くつくかも知れない。

 

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2017年6月19日

           

 

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