工房閑話

 

 

 

福島の教訓

 

 東日本大震災から早くも11年が経過した。震災は自然災害かも知れないが、原発事故は人災であり、あれだけの災厄をもたらしたにも関わらず、想定外の事故として誰一人として責任を問われていない。その延長線上で原発の不祥事はあとを絶たない。

 

 その最たるものは、稼働停止中の世界最大の発電量を誇る、東電の柏崎刈羽原発の問題である。まず、外部からの侵入を許す状態が、長く放置されていたという信じ難い管理体制が公表された。一般庶民の家でも施錠くらいはしてある。また、社員が他人のIDで中央制御監視室に出入りし、それが看過されていたこと等も発覚している。この有様はさながら諸葛孔明の「空城の計」で、テロリストも戸惑うに違いない。さらに不思議なことに、再稼働のお墨付きを与えたい当局も苛立つほど、対策は一向に進まない。

 

 東電は「社内研修等で社員の意識を高める」とコメントしている。また、「日本人のセキュリティー意識の問題」と指摘する専門家もいるが、これは明らかにマネージメント能力の問題である。「仕組み、この場合は規則と言い換えてもいい、を作って執行する」という極めて単純だが、重要なマネージメントの機能が欠落しており、ここからスタートしない限り、問題は永遠に解決しないだろう。

 

 そもそも、世界有数の地震国に原発があること自体、誠に不安である。しかも、当事者がこの程度の危機管理能力しか持っていないことには驚きしかない。しかるに、ロシアの侵略戦争を奇貨として、より原発依存に軸足を移そうとしている気配が窺えるが、何とも品の無い話である。

 

 福島の教訓を風化させてはならない。いまだに続く悲劇は、それによって初めて、幾ばくかが報われることになる。


 

                            2022年3月27日

 

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