工房閑話

 

 

 

白河以北

 

 仙台育英学園高校が、春夏を通じて東北勢初の甲子園制覇を果たし、「優勝旗が白河の関を超えた」と評判になった。さらに、この喜びを表すのに担ぎ出された「白河以北一山百文」の謂われに接すると、東北人の心情を垣間見たような心持ちがする。

 

 白河の関は、定かではないが、5世紀前半頃に設けられたらしい。「白河以北一山百文」は「白河の関を超えた辺境の地(現在の東北地方)は、まとめて百文程度の値打ちしかない」ほどの意味で、幕末に官軍が東北の諸藩を見下した言葉である。会津藩主松平容保を討つべく、白河の関を超えた官軍と会津藩の戦いは会津戦争として歴史に刻まれているが、孝明天皇から厚い信頼を得ていた会津藩主松平容保が、幕末のギリギリの段階で朝敵として官軍に攻められ、革命成就の象徴となるのは、政治の不思議さ、あるいは胡散臭さの極みに思える。白河以北の受難は東日本震災の大災厄へと続くが、その次に来る「復興五輪」に至っては、その実態を見る限り、さすがのおおらかな陸奥の人々にとっても「いい面の皮」だろう。筆者には「現代版一山百文」にも見える。

 

 それにしても、時代に翻弄された白河以北の世渡りは、どうにも不器用に映ってしまう。同じことが上方のどこか、例えば大阪あたりで起こっていたら、かなり違った展開になっていたのではないだろうか・・・。

 

 あらためて、この度の快挙を心より祝福したい。さらには、会津戦争の悲劇と原発事故の不条理を思うと、「優勝旗の白河関越えは福島県勢の手で達成させたかった」などと思いが彷徨ってしまうのである。


 

                            2022年8月28日

 

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