工房閑話

 

 

国難突破解散

   

 苦笑いを誘われる大時代的な命名だが、大政翼賛会を連想させられた方もおられるかも知れない。いまさら驚きはしないが、有権者も随分と安く見積もられたものだ。政権与党の実績を振り返ると、解散の大義も新たな公約も空虚に響く。また、バッジに対する議員の執着は分からないではないが、自己保全に汲々として、なだれをうって踏絵を踏んでしまう様には、肌寒ささえ感じる。これを仕掛ける側にもネガティブなイメージがつきまとってしまう。

 

 立憲民主党の演説を聞いた。何を目指すのか、やや具体性に欠けるものの、明らかに聴衆の共感を得ていた。リベラル(≠左翼)な党是もさることながら、政治姿勢が有権者の心を捕らえているようだ。長らく忘れていた、政治家の矜持を感じ取っていたのかも知れない。「そんなものあるのか?!」と云う声が聞こえてきそうではあるが・・・。

 

 公約を自分なりにその意図するところまで検証し、選択すべきと云われているが、政権党として実績のあるところの作業は大して難しくはない。約束を守っているかどうかなのだから。若い頃は粋がって棄権したこともあるが、棄権はそのまま政権党の信任に繋がるのみならず、免罪符となってしまう。有権者の矜持も問われている。

 

                            2017年10月12日

 

           

 

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