工房閑話

 

 

 

十一面千手千眼観音

 

 

 今年も懲りずに連休の京都に出かけた。コロナ明けの大混雑を避けるべく行先を選び、まず最初に十一面千手千眼観音を拝観すべく南山城(現京田辺市)の寿宝寺を訪ねた。このお寺は704年、文武天皇の時代に創建され、壮大な伽藍を有していたと伝わるが、木津川の氾濫を避けるために、下って江戸享保年間に現在の場所に移築された。ひっそりと佇むささやかな寺域から往時を偲ぶことは叶わず、訪れる人も多くはないそうだ。

 

  



  予約した時間に到着すると、係りの方が開帳してくれた。平安後期の作というご本尊は実際に千本の手を持ち、唐招提寺、葛井寺の観音像と並び称せられる傑作だけあって、その威容に圧倒されてしまう。「千の眼を持って衆生の苦難を見極め,千の手で救いを差し伸べる」そうだが、むしろその眼で人の心の奥を言い当て、その千本の手の全ての得物で、不心得者を打擲する構えに見える。しかるに何故か「もう少し早くこの観音様と対面できていれば・・・」とつぶやいてしまった。これを耳にした係りの方(博物館の学芸員を彷彿させるような控えめな言葉で説明してくれていた)に「悟った時が信仰への入り口です。今からでも遅くはありません。」と諭された。宗教というやや得体の知れないものに対する警戒心が緩んでいたせいか、不快な感じはしなかった。密教の一端を体感したような気がした。

 

 辞する前に、感謝の気持ちを込めてお布施と共に拝観料(300円也)を支払おうとしたが、家人が気を利かせて財布を出してきた。千円札が見えたので、3人分で900円とすると、おやおや、残り100円がお布施かと戸惑ったが、さにあらず、千円を支払い、おもむろに100円と書かれたパンフレットを手にしていた。なかなかに手強い・・・。

 

 

                            2023年5月26日

 

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